せっかくだから俺はこの赤い錠剤を飲むぜ -仮面ライダーアマゾンズは実質ガルパン-

「そういえば先輩は仮面ライダーファンでしたよね。この前、わたしも見ましたよ、仮面ライダーアマゾンズ
「アマゾンズはダーティ&シリアス路線で嬉しいね。君の口にも合うかもしれないと思ったんだけれど、どうだった? 君はこの前、近年のニチアサ仮面ライダーは口に合わないって言っていたけれど。」
「全体にシリアスな脚本が良かったです。ダークヒーロー感が良い」
「うん。戦うと血とか出て、リアルさもある」
「あ、そこなんですが、ちょっとそれは違うと思うんですよね。これは、アマゾンズという作品の良し悪しとはまったく無関係であることを最初に強調しておかなければならないのですが、アマゾンズはリアリティをコンセプト・魅力として推してはいない。アマゾンズという作品は実はリアリティはなくて、むしろコアコンセプトはガールズアンドパンツァーに近い。つまり、仮面ライダーアマゾンズは、実質ガルパンなんです」
「なんか暴論が始まった気配がするよ」
「まあ暴論なんですが、思いついた瞬間は、少しおもしろかった話なので与太話として聞いてください」
「OKOK」

「わたしが思うに、仮面ライダーアマゾンズのコアコンセプトは単純です。『仮面ライダーでダークヒーローをやりたい』」
仮面ライダーってダークヒーローじゃなかったっけ?」
「ノーコメントです。ニチアサの話は...。仮面ライダーアマゾンズの構成要素はすべて、『ダークヒーロー』というコアコンセプトに奉仕するもので、コアコンセプト実現のためにのみ存在してるいわば「為にある設定」に過ぎません。主人公が持つ追われる属性、正義でなく我欲で動く登場人物、流血を伴う凄惨な絵作り、優しさのない世界観、残酷で救われないことの多い物語。
作中で特に御都合な存在が『人食いになるアマゾン細胞』という設定です。これは一見何かを説明しているようでいて、実は何も説明していません。なぜ人を食いたくなるのか、なぜ人間態を持ち変身するのか、アマゾン細胞という1つの要素が人喰いと変身の2つの要素を繋げるのに全く役立っていません。一つのガジェットが2つの無関係な設定を持つことは設定設計として美しくない」
「それは後のエピソードで説明されるのでは?」
「まあ、そうなのかもしれません。しかし私は放って置かれると思っています。わたしの考えでは、アマゾンズシリーズは、最初からそこを説明する気がない。それに、アマゾンズの視聴者もアマゾン細胞という設定の説明には興味がないのではありませんか?
アマゾン細胞が生み出した、アマゾンズの物語の状況下に置かれた主人公たちが何を考えどう判断し、どんな行動をするのか、どんな戦いを見せてくれるかが面白くて、私を含めてた視聴者はそちらを楽しんでいるし期待している」
「ふうん」
「最低限の言い訳だけは用意するけれど、それもあからさまな言い訳であることが誰の目にも明らかにわかる作品というのは割と有ります。大抵の場合は、作者の技量不足故にアリバイ工作に失敗しただけですが。フィクション作品において、製作者の意図が垣間見えてしまう瞬間というのは興ざめです。作品にかかっていた魔法が解けてしまうからない方がいい。
ところが、一部の作品においては、製作者と視聴者がまるで事前に申し合わせたかのように、そこに目を瞑るという申しわせを、物語の裏側ですでに終えている場合がある。何かしらの不正の気配がする。ロボットモノやゾンビモノと呼ばれる、いわゆるジャンルモノというのがそれです。年端も行かない少年がロボットに乗って戦う不自然や、意志なき死者が蘇り生者を襲い始めるという不自然を、私たちは無意識のうちに受け入れているわけです。
自らの好みを自覚し、突き詰めて開眼するまでに至ったクリエイターが、やりたいことをリアリティや全体の整合性、市場への適用性、いわゆる穏当さを意識して捨てて、というか諦めた時に現れるもの。多くのものがそれを求めていながら、あるいはその魅力を知らないままでいたために、言い訳をそれと知りつつ受け入れてまで欲っする物語。
さて、私たちは最近、そういう作品をひとつ知っています。コアコンセプトはこうです。『かわいい女の子で戦車戦がやりたい』」
「そこでガルパンなんだ」
ガルパンです。最近アニメ は3話まで見ろなんて話もありますが、ガルパンのコンセプトを説明するのに劇場スクリーン大写しで3分ちょっと解説する必要はない。ガルパンに登場するすべてはコアコンセプトのために存在している。 現実を知っている我々には違和感バリバリの世界観と設定が次々登場しますが、視聴者はそれを無視するようになる。なぜなら視聴者が関心を持っているのは、女の子たちがどう戦車に乗って、どんな戦いを見せてくれるのかであり、作品の現実にあるらしさ、リアリティではないからです。
『戦車と女の子、好きなもの同士を組み合わせたら最高に決まってるだろ。リアリティなんて必要ない』『俺はダークヒーローをやりたい。人を食う悪人とかをカッコよく描きたいだけなんだ。設定の美しさなんて知ったことか』
そこに違和感を感じるかどうかは、視聴判定において重要ではありません。
実はわたしは最初、ガルパンの設定に耐えきれなくて4話で視聴を止めたのですが。ガルパンにおいてあのストーリー設定にノれるノれないという批判は設問を根本から間違っている。実際は、ノルかノラないか、なのです。」
「ノるなら早くしろ、でなければ帰れ、か」
「YESYES。ちなみにガルパンは4周耐えたら慣れて何も感じなくなりました。極上爆音上映を食らうと大概のことは許せる身体になります」
「それはイカ怪人にされるより嫌な改造をされたな」
「アマゾンズにおける『アマゾン細胞』と、ガルパンにおける『特殊なカーボン(というか戦車道)』は、メタな視点で見れば、本質的には同じものです。
アマゾンズとガルパンが正反対のものに感じる理由、つまり両者の差異は、残酷描写の有無という見た目の問題もあるのでしょうが、本質はそこではなく、コンセプトの食いあわせの問題です。『女の子x戦車戦』という新機軸は根本的に相性が悪く、キワモノであり、繋ぎ目を隠すことは到底無理です。一方でアマゾンズは『仮面ライダーxダークヒーロー』という方針であり、まあこれがわりと噛み合う組み合わせです。
アマゾンズがリアリティ要素を持っていることは否定しませんし、そこに魅力を感じるのもアリだと思いますが。アマゾンズはやりたいことが『ダーティ』路線だったので、結果的にシリアスになり、シリアスが結果的にリアリティのようなものを醸し出しただけなんじゃないかと思っています。リアリティは、コアコンセプトのために捨てても立ててもよかった。どちらにせよ、重視していないのは同じです」