宇宙戦艦ヤマト2199感想 めんどくさいオタクにめちゃくちゃ気をつかってもらっちゃってるようで申し訳ないなぁ

宇宙戦艦ヤマト2199感想 めんどくさいオタクにめちゃくちゃ気をつかってもらっちゃってるようで申し訳ないなぁ

「良かったですよヤマト。そもそもまったく期待していなかった方向で」
「そもそも2017年に見れる内容なのかを疑っていました。だって戦艦大和を宇宙戦艦に改造して地球を救わせる話ですよ。どう考えても2017年に新作で書いたら正気を疑われる内容です。絶対にインターネットで叩かれますって。そうでなくても、女の子たちに戦車で甲子園やらせるのと同じレベルで頭おかしい」
「君はいますごい人数のおじさんを敵に回した」
「戦車道ファンは今更そのへん自覚的でしょう。私も慣れるまでにTV版を4周必要でした。
ともかく。私はどうにもリアリティの弱い作品が苦手で。いや作品が悪いわけではまったくなくて、完全に私の問題で、私の偏食です。そういうわけでヤマトも、2017年の作品にわたしが求めるリアリティ基準には沿わない話ではないのか、違和感バリバリで見るのが辛い話なのではないかという不安があったのです」

ですが蓋を開けたら、
- 若手クルーの主人公が搭乗してすぐ要職に就けるのは、末期戦の人材不足になけなしの搭乗予定者が第一話で壊滅したから。
- 海底の戦艦を宇宙船に改造したのは建造しているのを敵から隠すため
- 反敵宇宙人と勝機なしと判断している派閥をきちんと登場させる(「出雲計画派」として一本化は上手い。)
- 前のアニメで「不死身の第三艦橋」とか言われていた修理・補給の考察雑さは、第三艦橋危機一髪と、何度も行われる補給エピソードで結構ちゃんと拾う。
- 銀河を掌握するガミラス帝国に、ヤマトがたった一船で対抗できたのはガミラスが一極支配の歪みでメチャクチャに内乱しているから。(タイミング==運の良さもありますが)
- 予定の半分で打ち切り終了となった前のアニメで、駆け足最終話だったのを、諸々伏線を張って説明をつけつつ、再現もする。

「リメイク版ヤマト、すごく良かったです。ただの『お約束』に対して『理由付け』がないとそれが気になって仕方がない、面倒くさいオタクとしての自分が、宇宙を航行する戦艦という胡乱で楽しい画面を、安心して見ていられるというのが、どれほどありがたいことか」

以下、蛇足。
- 後期OPは単純に曲と内容が合ってない。いやだって「従順になるな抵抗しろ」って歌われてもさ、ダブルオーとは違うんだから。ヤマト本編はまさに全力をもって支配に抵抗中で、「どう抵抗するか」を争いはしても頭を垂れて耐え忍ぶようなことはしてないのでは、という。
- ヤマトのテーマがOPだけでなくBGMで流れるのだけれど、戦闘シーンの曲なのになんだか戯曲的、というか少し茶化す感じ。だけれどシリアスな戦闘シーンにすごくマッチしていて素敵。これは、どうシリアスであっても、良くも悪くも「ブンドド」的なヤマトのバトルの雰囲気に合うからなのではないかなと思う。
- 個人的イチオシシーンは、ガミラス戦車の陰影の前をヤマトが通り過ぎる場面。絵面が最高。

第2話 我が赴くは星の海原

第2話 我が赴くは星の海原

  • 発売日: 2014/12/05
  • メディア: Prime Video

終末のイゼッタ感想 - 伝説の白き魔女が一番普通の女の子可哀想

当然ネタバレです。

伝説の白き魔女「お前も実際に異端審問で拷問されてみれば私の気持ちがわかる!」
イゼッタ「受けたことないからわからん」(ドン!)(ワンピース感)

異端審問で拷問死的な死に方をして、蘇って怒りMAXに復讐してたら、敵の魔女が最初から自分が迎えるであろう結末まで解かっていてコトを始めた、めっちゃ『覚悟決まってる』娘だったという。
最終決戦中にイゼッタの覚悟を聞いた後、自分とイゼッタを冷静に比較して打ちのめされる前に死ねたのは、ある意味救いな気もする。
ここで、おかしいのはイゼッタのほう。伝説の白き魔女は、普通の恋する女の子だったのに魔女だったのが悲劇。

神無月の巫女感想 - 悲劇をフォーカスしない残酷さ。箱庭空気の純度

神無月の巫女感想 悲劇をフォーカスしない残酷さ。箱庭空気の純度

神無月の巫女DVD-BOX

神無月の巫女DVD-BOX

  • 発売日: 2009/05/22
  • メディア: DVD

面白かった。
避け得ないことだが、2018年視点で見てしまった部分がある。当時リアルタイム視聴した人がどういう感想を持ったか知りたい。

以下の感想は、twitterで百合クラスタの下馬評を見て興味を持ち、アニメ版を見たもの。原作はマンガだと思うけれど読んだことがない。

第一話で主人公たちの暮らす村が襲われて、建物や住人に被害が出た旨が示される。親しい友人にも怪我人が出る。きっと死者も出ていて、痛ましい出来事として描写される。
一方で二話以降、敵陣営のキャラクター達が出撃する時に、理由もなく赤子の手をひねるように町を破壊したり戦闘機を撃墜するシーンが入る。
一話の村襲撃とは桁違いの死傷者が出ているはずなのだが、犠牲者を一切写さない。被害の描写はあっさりしており、特に町の破壊シーンは壊れる建物のシルエットで済ませられてしまう。
なぜなら二話以降の被害は「主人公たちしか事態に対処できない」という説明シーケンスに過ぎないからだ。
(描画のシルエット化自体は、作画コストの節約が理由なのだろうけれど。)

そして物語は一話以降、犠牲者を取り上げない。
作劇として見ても、村に起こった悲劇だけで主人公たちの戦う動機が成立するため、以降の悲劇を絡ませる理由がない。(とても合理的だ。)
外側でどんなに酷いことが起きていても、その世界の命運を司る戦いのフィールドは村に、物語は主人公たちと敵陣営の関係性に閉じている。
結果、物語の視点は外の世界で起こる悲劇に対して無関心である。物語から美術まで無関心さを共有することで、統一感のある箱庭世界の空気を生み出している。

町の破壊と同じくこの物語で面白い「あっさりさ」はもう一点。それまでロボット戦で死なない条件付き不死身みたいな雰囲気だった敵側キャラたちが、15分もないシーケンスでさくさくと死ぬ。というか場面切り替えで死んでた。敵も死なない系のヌルい物語かと思っていたところでの切り返し。これもまたメタな尺の都合なのかもしれないけれど、単純に面白くて個人的にとても良かった。

匂わせる、とはまた違う。規制にかかるほど直接的にゴア描写をするわけではないけれど、物語の中では残酷な出来事が平然と起こる。しかしねっとり描写されることなく、主人公たちの視界に映らない所で起こるからストーリー上に取り上げられない。物語もそれに関心がないというあっさりさで悲劇を特別扱いしてやらない。

個人的に上手いなと思ったのは、敵側キャラが各々世界を壊したく成るほど恨むようになったエピソードを紹介するシーン。人体実験の被験者にされた(と思われる)キャラが、それを説明する止め絵で笑顔だったこと。いかにも痛そうな絵を入れるよりも残酷さが強調されて、とても効果的だ。
(ついでにあのキャラ、アニメのいかにも萌えキャラ・ロリキャラ然とした恰好が、実は残酷なバックグラウンドから出てきているのだ、という使い方は上手くて感心した。)

あと百合について。

2018年は百合飽食の時代であり、むしろまっとうな異性愛テーマ作品のほうが珍しい時代である(要出典)。なので結末に特に驚きはなかった。
だけれど視聴後に冷静になって振り返ると、当時は超展開扱いされなかったのだろうかと勝手に心配になる。これは説明不足とかではなくて、どう丁寧に説明を重ねても説得は難しいのではという感覚の問題だと思う。(いや、当時のリアルタイム視聴でないので本当に当時の空気感がわからないのだが。)

お嬢様学園要素、ごきげんようとかお姉様とかがキツいと感じるのは、2018年だからというより私個人の問題。心を広げていきたい。精進せねば。
同じように気になる人は、お嬢様学園要素は物語が必要とする場所に正しく配置されており、無駄に出てくるものではないから安心していい。

事前評で聞いていた通り、男キャラは本当に、本当に良い奴だった。これで男は百合作品に登場する事自体が許されないのだ等、言うのはわかるが言った側に配慮がないと思われても言い訳が思いつかない...。
(「あいつはいいやつなんだが、あの戦争で兄弟を、な。分かってやって欲しい」とかか? あ、好きなジャンルについて心が狭いことは悪いことでは全くないと私は思っています。念の為)

話を戻す。

神無月の巫女、下馬評では、
- 当時本当に珍しかったアニメ化までした商業百合作品
- 百合とロボット(しかもスーパーロボット系)をミックスしたゲテモノ異色作である
といった点が強調されがちで、もちろんそれも興味深い作品なのだけれど、それとは別に、
- 世界と悲劇に対する無関心さが通底した作品美術とストーリーが、世界観に残酷さを生み出す
- それらが一体となって箱庭空間を生み出し、セカイ系が入った悲劇的百合の物語とマッチして空気の純度が高い

事前のゲテモノ評に対して(もちろんゲテモノ怪作なのだが)、単にゲテモノに終わっておらず、きちんと食い合わせ良くまとまっている。
オススメ。

神無月の巫女感想 - 悲劇をフォーカスしない残酷さ。箱庭空気の純度

神無月の巫女感想 悲劇をフォーカスしない残酷さ。箱庭空気の純度

神無月の巫女DVD-BOX

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  • 発売日: 2009/05/22
  • メディア: DVD

面白かった。
避け得ないことだが、2018年視点で見てしまった部分がある。当時リアルタイム視聴した人がどういう感想を持ったか知りたい。

以下の感想は、twitterで百合クラスタの下馬評を見て興味を持ち、アニメ版を見たもの。原作はマンガだと思うけれど読んだことがない。

第一話で主人公たちの暮らす村が襲われて、建物や住人に被害が出た旨が示される。親しい友人にも怪我人が出る。きっと死者も出ていて、痛ましい出来事として描写される。
一方で二話以降、敵陣営のキャラクター達が出撃する時に、理由もなく赤子の手をひねるように町を破壊したり戦闘機を撃墜するシーンが入る。
一話の村襲撃とは桁違いの死傷者が出ているはずなのだが、犠牲者を一切写さない。被害の描写はあっさりしており、特に町の破壊シーンは壊れる建物のシルエットで済ませられてしまう。
なぜなら二話以降の被害は「主人公たちしか事態に対処できない」という説明シーケンスに過ぎないからだ。
(描画のシルエット化自体は、作画コストの節約が理由なのだろうけれど。)

そして物語は一話以降、犠牲者を取り上げない。
作劇として見ても、村に起こった悲劇だけで主人公たちの戦う動機が成立するため、以降の悲劇を絡ませる理由がない。(とても合理的だ。)
外側でどんなに酷いことが起きていても、その世界の命運を司る戦いのフィールドは村に、物語は主人公たちと敵陣営の関係性に閉じている。
結果、物語の視点は外の世界で起こる悲劇に対して無関心である。物語から美術まで無関心さを共有することで、統一感のある箱庭世界の空気を生み出している。

町の破壊と同じくこの物語で面白い「あっさりさ」はもう一点。それまでロボット戦で死なない条件付き不死身みたいな雰囲気だった敵側キャラたちが、15分もないシーケンスでさくさくと死ぬ。というか場面切り替えで死んでた。敵も死なない系のヌルい物語かと思っていたところでの切り返し。これもまたメタな尺の都合なのかもしれないけれど、単純に面白くて個人的にとても良かった。

匂わせる、とはまた違う。規制にかかるほど直接的にゴア描写をするわけではないけれど、物語の中では残酷な出来事が平然と起こる。しかしねっとり描写されることなく、主人公たちの視界に映らない所で起こるからストーリー上に取り上げられない。物語もそれに関心がないというあっさりさで悲劇を特別扱いしてやらない。

個人的に上手いなと思ったのは、敵側キャラが各々世界を壊したく成るほど恨むようになったエピソードを紹介するシーン。人体実験の被験者にされた(と思われる)キャラが、それを説明する止め絵で笑顔だったこと。いかにも痛そうな絵を入れるよりも残酷さが強調されて、とても効果的だ。
(ついでにあのキャラ、アニメのいかにも萌えキャラ・ロリキャラ然とした恰好が、実は残酷なバックグラウンドから出てきているのだ、という使い方は上手くて感心した。)

あと百合について。

2018年は百合飽食の時代であり、むしろまっとうな異性愛テーマ作品のほうが珍しい時代である(要出典)。なので結末に特に驚きはなかった。
だけれど視聴後に冷静になって振り返ると、当時は超展開扱いされなかったのだろうかと勝手に心配になる。これは説明不足とかではなくて、どう丁寧に説明を重ねても説得は難しいのではという感覚の問題だと思う。(いや、当時のリアルタイム視聴でないので本当に当時の空気感がわからないのだが。)

お嬢様学園要素、ごきげんようとかお姉様とかがキツいと感じるのは、2018年だからというより私個人の問題。心を広げていきたい。精進せねば。
同じように気になる人は、お嬢様学園要素は物語が必要とする場所に正しく配置されており、無駄に出てくるものではないから安心していい。

事前評で聞いていた通り、男キャラは本当に、本当に良い奴だった。これで男は百合作品に登場する事自体が許されないのだ等、言うのはわかるが言った側に配慮がないと思われても言い訳が思いつかない...。
(「あいつはいいやつなんだが、あの戦争で兄弟を、な。分かってやって欲しい」とかか? あ、好きなジャンルについて心が狭いことは悪いことでは全くないと私は思っています。念の為)

話を戻す。

神無月の巫女、下馬評では、
- 当時本当に珍しかったアニメ化までした商業百合作品
- 百合とロボット(しかもスーパーロボット系)をミックスしたゲテモノ異色作である
といった点が強調されがちで、もちろんそれも興味深い作品なのだけれど、それとは別に、
- 世界と悲劇に対する無関心さが通底した作品美術とストーリーが、世界観に残酷さを生み出す
- それらが一体となって箱庭空間を生み出し、セカイ系が入った悲劇的百合の物語とマッチして空気の純度が高い

事前のゲテモノ評に対して(もちろんゲテモノ怪作なのだが)、単にゲテモノに終わっておらず、きちんと食い合わせ良くまとまっている。
オススメ。

意図していないほうがまずい

意図していないほうがまずい

こういう考え方もできるよねという屁理屈です。屁理屈なんです。政治は詳しくないので、本エントリはマンガかアニメの話をしていると思って読んでください...。

ありがちな政治的な発言として「まさかこんなことになるとは思ってなかった」という台詞がある。
これは「悪意があってやったわけじゃない」「こんなことになるとは思っていかった」という意味の言い訳で、意図して害を与えたわけではないから私は悪くない、ということらしい。
が、政治でこれはまずい。

ソフトウェア業界には「仕様」「バグ」という2つの言葉がある。
仕様とは、ユーザであるあなたにとっては想像していなかったことを製品が引き起こし、あなたに害を与えたかもしれないが、私には最初から判っていたことであり意図した動作である、という意味を持っている。
例えばチェーンソウは木を切るとても便利な道具だが、人間の腕を切り落とすこともできる。無垢なユーザは、木を切るために買ったチェーンソウを使って自分の腕が無くなるかもとは全く想像さえしない。一方でチェーンソウの製造元は全てを知っており、腕でも足でも木の枝でも見境なしに切り落とす道具であることも理解している。だからユーザが腕を切り落とさないよう、チェーンソウ起動ボタンに安全装置を付けたり、注意書きの書かれた分厚い取扱い説明書を付けて対策することができる。(ユーザが安全装置をダクトテープでONに留めたり取扱い説明書を読まないのはまた別の問題だ。)
一方でバグは製造元が意図していなかった動作のことを言う。
枝を切る代わりにユーザの頭の上に花が咲くチェーンソウを製造する業者はいないので、もしもチェーンソウを使っていてユーザの頭の上にポピーが咲いたならそれはバグだ。バグは、起こす現象に一見害がないように見えても、チェーンソウ製造元は自分たちの作っているチェーンソウについて何か大事なことを知らないことを意味する大変危険な兆候であり、次にユーザの頭に生えるのがポピーではなく包丁の柄ではないとは誰にも保証できない。

さて、政治における仕様は意図していたということだ。害が起こっても被害はここまで、全体的には益のほうが大きい、害が起こることと、害の大きさを十分考慮してその範囲から漏れる大きな害は発生しないことに責任を持った、という意味である。
チェーンソウがなければ哀れな犠牲者が出ない代わりに朝から晩まで斧を振るうことになり、腕を落とす者が出たとしても、木を切るのが楽になるため全体では幸せが増す。
(注意:誰にとっての害と益か、どこかに不幸だけをしわ寄せしていないか、には常に注意する必要がある。)
一方で、「まさかこんなことになるとは思ってなかった」という台詞はバグだと言うことだ。つまり、どのような害悪が起こるかわからないし考えていなかったということだ。
あえて悪意のある受け取り方をすれば、「私にはあなたに害が及ぶかどうかに関心がなかった。あなたが死のうが不幸になろうが構わないしそのことを真剣に考えてはいなかった」と取ることもできる。
政治家や大企業の意思決定担当者といった、大人数の生命と幸福に関わる人がそういう発言をしていたら、確率的に犠牲になる人数が不要に増えている可能性があり、自分が犠牲者になる可能性が上がっている。これは危険な状態だ。

だから、「意図していなかった」という言葉は、「分かっていてやった」と言うよりも、ずっと悪い状況だと、私は思うことが多い。

アニメ リアルサウンドシリーズ ~エヴァンゲリオン 編~ Vol.1

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  • 発売日: 2016/01/28
  • メディア: MP3 ダウンロード
君でいられなくなるキミに

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  • 発売日: 2017/08/01
  • メディア: Prime Video

なお、悪意があるならちゃんと考えている分だけナンボかマシ、というのはさすがに言い過ぎである。以上蛇足。

// 関連する話:世の中の色々な事はわりと余裕なく最適化されている。それは悪いことではないけれど、自覚していないとまずい。

荒巻提督ルナティックモード - 艦これのゲーム性とシミュレーション性 -

荒巻提督ルナティックモード - 艦これのゲーム性とシミュレーション性 -

「初めまして!司令官!」

「初めまして!司令官!」

  • 発売日: 2016/11/09
  • メディア: Prime Video

「『艦これ』ってゲームとしては恐ろしく面白くないからな。資材管理と出撃の指示ばっかりで、戦闘勝手に進むし。FPSやってたほうが性に合うんだよな」
「それは君が重度のFPS中毒患者なだけな気もするけれど...。まあ、艦これは、ゲーム設計が、ゲームが本来持つべき快楽原則に大いに反していると言えなくもないかな。語っても良い?」
「どうぞご勝手に」

「まず、動物は60秒以内に報酬または罰を受けなければ、行動と結果を結びつけることができない。これは行動分析学という学問によってかなり昔からわかっている。これは人間にもあてはまる。

FPSと艦これを比べるとわかりやすい。
FPSゲームは人間の快楽原則に従って作られている。自分が狙いをつけて銃を打つ。すると、次の瞬間には敵が死んで弾が当たったことがわかる。自分で判断した行動が結果に反映されて、上手く行ったことがひと目でわかる。判断と行動は全てコントロールできるし、行動から報酬=快楽は60秒以内に得られる。たとえ不幸な結果になってもそのことを受け止めて次へと繋げる気になれる。
一方で、艦これはFPSとは真逆のゲームデザインになってる。
まずコントロールが効かない。提督がコントロールできるのは、物資を配分して部隊を編成し出撃を指示する、出撃前まではコントロールできます。船というユニットを万全の状態で出撃させるところまではできる。しかし、戦闘に出てしまえば、自分の判断は間接的にしか反映されず、手を出せない。まあ実際は絶無ではないのだけれど、『ガンガンいこうぜ』『いのちをたいせつに』で、自分というユニットは戦場に出ないから戦闘に介入できない。そもそも、艦これのゲーム目的と快楽報酬は、戦闘で集めた資源を元手に艦娘を育てたり新しい艦娘を手に入れることであって、目の前の敵を倒すことには無いのだけれど。
艦娘たちはプレイヤーである提督とは独立した独自の判断をして、その結果ダメージを負い提督の持つ貴重なリソースを消費する。大破轟沈することすらある。これも再建のために大いに提督の保有資材を消費する結果をもたらす。
もちろん艦娘たち自身も轟沈という不利益を被っているわけなのだけれど、まあそれは置いておくと、彼女たちの判断と行動の結果を享受するのは提督、つまり自分だ。管理職の苦悩、他人の判断の責任を負わされるのは自分の失敗の責任を被るよりずっとストレスフルなことなんだよ。
『自己責任』という言葉は、裏返せば、他人から押し付けられるより自分で決断した結果を享受するのだと考えるほうが不幸な結果を受け入れやすい、という意味でもある。
報酬についていえば、艦これは、報酬=快楽が得られるまでのレスポンス時間も遅い。艦これの報酬は資材の増減。何度かの戦闘シーケンスを経て、資材は得られたか、艦隊の損害はどれほどで、差し引きで得られた資材に見合う結果になったか。ユーザは自分が幸福になったか直感的にはよくわからないので考えて計算しなければならない。

つまりゲーム版『艦これ』は、
・ユーザは結果の結果=快楽をすぐに得られない
・ユーザは行動をコントロールできず、隔靴掻痒のストレスを感じる
・しかも自分が必ずしも関知しない判断の責任を負う立場
というストレスフルな構造になってる」

「なんかよくわからんけど、話をきいていたら、艦これがすごくつまらないゲームである気がしてきた」
「いやいや、そんなことはないんじゃない? わたしはプレイしてないから知らないけれど」
「してないのかよ! それでよくもまあ無責任に滔々と話すなあ」
「うん。艦これ語りは面白いからね。ところで君、これによく似た構造があるんだ。君はたしか攻殻機動隊が好きだったよね」
「ああ大好き」
「荒巻提督は公安9課という最強の艦隊を率いる提督だ。その仕事は、主に出撃と資源の管理にある。内務省に認めさせて組織の活動予算を捻出し、9課鎮守府の土地建物と維持費をコントロールし、思考戦車タチコマの購入と維持管理の手回しをし、総理から承諾をもぎ取って出撃許可を出す。荒巻提督は優秀な提督で、Level100超えの空母と戦艦ばかりを集めた少数精鋭部隊を運用して戦果を次々とあげているけれど、リソースを注ぎきった最強の第一艦隊という現在の編成は、いつか来るもしもの大破轟沈に弱いことにも気づいていて、最近は艦隊の維持存続のために現在の体制から下級艦のローテーション運用に移行する構造改革を計画している。そのために新人獲得と育成計画、組織編成の変更と策定にも熱心なのだという。
艦隊旗艦の素子という大戦艦は、出撃するたびにめちゃくちゃ資源を消費する。艦これでは赤城あたりが資源を大食いするので、二次創作などでもよくネタにされると聞いているけれど。草薙級一番艦草薙素子は、この資材をめっさ食う。めがっさ食う。食うが強い。
ところで大戦艦としての素子が何を食うかと言うと、艦これ版攻殻機動隊には、政治値という資源がある。これが枯渇すると、違法な捜査方法のもみ消しや借りてきて壊してしまった米帝の備品の弁償とかができなくなっていき、最終的に敵対組織の手が回ったり、荒巻課長の手が後ろに回るなどして、公安9課は解散させられてしまう。
そして捜査という名前の出撃をすればするほど、政治値は消費されていく。艦これと少し違うのは、この政治値の扱いで、公安9課は犯人逮捕または確保できなければ無力化が成果報酬だったりするので、素子艦を出撃させるだけでは、政治値の資源は消費するばかりになる。そこをどうにかするのが荒巻提督の手腕で、どうするかというと、たぶん、いろんな組織に対して、犯人確保や無力化とバーターにしてる」
「よくある公安9課艦隊の出撃をストーリーにするとこうなる。素子艦を出撃させると、なんやかんやで犯人を確保する。その時に大いに資源を消費する。備品のタチコマはぶっ壊すし武器はぶっ壊すし街はぶっ壊すし、ついでに米帝の試作兵器あたりを勝手に借りてきて使い、しかもそれもぶっ壊す。荒巻提督が活躍するのはここからで、まず外務省に『このまえ外務省の仕事にちょっかい出していたのをあの事件の犯人、こっちで逮捕したの覚えてる?』ってやって、犯人逮捕という報酬から政治値を生み出す。それから『あの時のあれとバーターで、怒ってそうな米帝の役人宥めておいてよ』と資源消費して回復をやる。
君が提督として感じている苦労を、公安9課の荒巻課長は一身に受けている。
普通の提督は戦力としてではなく、資源消費の問題で赤城や大和の出撃を渋るわけですが、荒牧提督はうまく資源捻出をやって、戦艦空母をまさしく実戦運用してる。本当にすごい提督ですよ、荒巻提督は」

第2話 暴走の証明 TESTATION

第2話 暴走の証明 TESTATION

  • 発売日: 2016/08/05
  • メディア: Prime Video

攻殻機動隊 (1)    KCデラックス

攻殻機動隊 (1) KCデラックス

  • 作者:士郎 正宗
  • 発売日: 1991/10/05
  • メディア: コミック

コスモファミリア一巻感想 次巻以降の展開がすごく楽しみ

コスモファミリア - 公的組織による対応の失敗、城平京の芸風 -

ハノカゲ氏のオリジナル漫画。気にはなっていたものの、購入に踏み切ったのは帯の『宇宙警察』という単語がツボに入ったため。

コスモファミリア* (1) (まんがタイムKR フォワードコミックス)

コスモファミリア* (1) (まんがタイムKR フォワードコミックス)

かわいい女の子とかわいいマスコット群とかわいい女の子達。
世界の危機だけれど、主人公のアリスはあくまで自分の家族を取り戻したいだけで、世界の危機を積極的に解決したいとは思っていない。
彼女は、家族のついでに世界を救うのか、あるいは家族を守って世界を壊す決断をする鈴木光司の小説のような物語になるか、はてさて。

今のところの見どころは、個人的な恨み爆発のエージェント子ちゃん。
人選できるなら慎重な判断が求められる接触・交渉のチームからは外したいタイプ。人手不足なのか? それとも。
あの子、1巻の展開もそうだったけれど、どう見てもギリシア悲劇オイディプス王」的物語、悲劇の未来を避けようとしたが故の行動が、意図に反して悲劇を招来してしまうトリガになるとしか思えない。
言動が攻撃的で意図された嫌われキャラではあるのだけれど、ギリシア悲劇の素養のある読者からすると最初から可哀想なところがある...。

もう一人のエージェントは今のところどうやら善人っぽくて、こちらも自分の人生を滅茶苦茶にした相手を前に、今後どういう身の振り方をするのかが楽しみ。

コスモファミリア世界の行政というか、国連および政府はその対応において致命的なミスをしており、それだけでなく、その後も同じ失敗を継続している。
世界の危機に際して、幼い日の主人公がその鍵を握る情報を持っていると掴むまではよかったのだけれど、その後、母親が失踪した子どものメンタルケアを怠り、彼女との関係を決定的に壊してしまった。
(事態の状況からして、まさか小さな女の子に世界からの干渉を退ける力があるとは想定しえなかった、というのは言い訳にもならない。)
彼女との信頼関係を確立することは、情報取得に必須だった。無遠慮な大人が家まで踏み込むのを許したのは、対策チームに児童カウンセラー等の専門家がいなかったか、発言権がなかったものと思われる。
まあそのへんは、混乱した世界の中にあって、初期対応に十分な検討の時間がとれなかったのかもしれず、至らなかったのは仕方ないとするとしても。
コミュニケーションに失敗して後、関係の修復はなっておらず、エージェントを町に入れて接触させるとかもしてないっぽい。

まさか天川アリスの請求していた家屋修繕費用に給与現物支給(?)他、町内会費から出てるとかってことはないよね?

その後、本編中。組織団体が少女に積極的にアクションしたが、この際の手順もまた悪い。
偶発的だったのかもしれないけれど(後の展開を見る限りだと偶然の出会いを演出したっぽいが)、交渉の担当者が、いかにも個人的な恨みを優先してしまうタイプで、これでは対話による事態進展が望めない。
少女が意図して世界を壊しているわけではないとわかっているのだから、敵対する理由はない。
合理的に損得で考えれば、彼女とは形だけでも良好な関係を築くべきだと思われる。
(もしかして、彼女を飼っている組織の方には敵対する理由があるのか。後の展開で明かされるとか。わかってやってるとしたらエージェント子ちゃんは本当に人生を弄ばれて可哀想だな...)
あるとしたら、ここから国連とか米軍とか日本政府とかは前に出てこないよう、宇宙警察の不思議パワーで抑え込まれてる系の話なのか。
// そうでないほうが私の好みなので。巨災対を出せとは言わないが。政府と国連にはきちんと動いていてほしい。

ところでまだエージェント子たちの所属する組織の実態は不明だけれど、公の組織ならコントロールが不十分だし、公の組織でないなら、謎の力を手に入れて「宇宙警察」とか名乗る危険団体と少女を接触させてしまうこと自体がまずい。
後者の場合、公の組織は十分に機能していないことになる。

個人的には、物語に出てくる要素・ガジェット等が、すごく城平京原作作品みたいな感じで好き。
ファンタジーっぽいけれどSFも入っているところとか。
具体的には「宇宙警察」の語感とか。どこか「フロイライン山本」と同じ匂いがしません?

世界の危機なのに悪い奴は(いまのところ)誰もいない、というのが個人的に良い。
(このへんは、作者さんの以前のお仕事の「悪役」とは似ているようで、異なる。
以前の悪役さん(s)の彼らは知性体であり、自分たちの基準で、与える利益が損害を下回ると計算してやっている。
コスモフはペットであり、ネコがネズミのおもちゃと戯れるのと同じで、自分たちのやっていることに善悪や損得というものさしを持たない。)

マンガの技術的な話。
コスモフが破壊した世界がどうなっているかを考えるのは、真面目にやるとSF考証が必要になって大変。
主人公が世界との関わりを意識・無意識的に断っているため、コスモフにより破壊された世界の現状は、2〜3の雰囲気コマを入れるだけで、具体的に描画しなくて済んでいる。
また、これから描画されるかもという楽しみとして取って置ける。

マスコットがかわいいのは、世界の危機という問題の描画をやわらげている。
(これが使徒とかネウロイみたいなそれらしい見た目だと、「なんとかせなあかん、そうしない主人公は主人公としてどうなん?」というのが先に立ってしまう。)
この前のお仕事で得た知見(かわいらしいモンスターの描き方)を使えるし、コスモフはストーリーデザインの勝利と言える。

あー謎組織のメンバーは、変身するからああいう服装なのね。そういう言い訳を入れてくれると個人的には嬉しい。 // そうとも限らないかもしれない。

2巻は学校に通う話になるとのこと。数年後に(自分たち一家によって)廃墟になるとわかっている学校を天国として描く準備は完璧。ライカの体調では学校に通えないはずだったという助走も付けたし、どうなるか楽しみ。
// そしてエージェント子が掻き回す。本当に不憫な敵役だよあの子は。

コスモファミリア* (1) (まんがタイムKR フォワードコミックス)

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コスモファミリア* (2) (まんがタイムKR フォワードコミックス)

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