レヴースターライト感想 もしかして百合ではないのでは?

無料配信で11話まで見た。無料配信によるイッキ見自体がわりと新鮮な経験だったが、作品の感想を。

スターとして成り上がるための手順を作中で真正面からそのまま描こうとすると、自分を磨く過程と、仲間を蹴落とす過程を延々描写することになり、悪く言えば地味で陰湿である。 (練習と、ライバルとの口喧嘩。作品によってはイジメ) それを直接戦闘というテクスチャを貼ることで、わかりやすく派手で見ていて快いエンタメにした。 (このへんは@ityou氏の「テクスチャ」という見立て(ゾンビものの洞窟の中心に/This War Of Mine)?がすごくしっくりくる。テクスチャ概念すごく便利。)

// 厚めのテクスチャがわかりやすく張ってある作品はみんなウテナ扱いしよう!

スターを目指すのは、アイドルを目指すと言われるよりも安心できる。 (今どきアイドルを目指すことを心配とか感じるのはわたし個人の問題で、その感性は古いし浅いし良くなく正しくない、というのはその通り。精進したい。)

で、物語は、キャラクターストーリーのアンソロジーとして見ればいいのかなと考えている。

ルームメイト回、滅茶苦茶に依存系百合恋愛テンプレートなセリフが次々と飛び出すが、それが実は百合テンプレート的な意味はなくて普通に友情と羨望の話をしている。 中身の感情は恋愛感情ではなく憧れと依存だ、という。よく出来たダブルミーニングで好き。 憧れと依存はそれ自体が百合だ、と言われればそうなのかもしれないけれど。

再演、タイムリープはネタとしては「またかよ」と思われることを理解していて、だからキャラクターストーリィという小ネタ扱いしている、『これはあくまで副菜であってメインディッシュじゃないから「またかよ」ってがっくりしなくても大丈夫だよ』というメッセージの模様。 それでも中ネタではあるから中ボスに割り当てて主人公のストーリーと絡めて2話使っている、でもやっぱりラスボスではない、という立ち位置。

エヴァ」後のアニメで、「エヴァ」に乗っかっているのはまだいい方で、視聴者が「エヴァ」後であることをまったく理解していないか意図的に無視しているリアルロボット作品というのが、ままある。そういうのはメタによって物語への没入から突然に引き戻されるので、個人的には見ていて体験が悪い。 レヴースターライトは、全体的に視聴者がどこをどう見るかわかっている感が有り、メタな気づきがあったとしてもげんなりしない、違和感や不快感にならないように配慮されている気がする。 青春競争モノの切磋琢磨を緻密な美術や息の詰まる心情描写でなくさっぱりとやりやすいバトルで代替するというのは一見して感情と青春競争モノに対する扱いの『雑さ』に見える。 が、そういう第一印象に反して、視聴者の没入を大きく阻害する要素が出てこないよう繊細に小石を除いた、丁寧な作品なのかもしれない。

仮面ライダークウガを見た(2018)

プライムでクウガを見た。

ライダーのお約束にきちんと理屈を付けていて良い(怪人が1体ずつ暴れることと戦闘が常に1対1なのは、それがゲームのルールだから、等)、という褒めは他ですごくしているので、ここではやらないです。 そういう理屈付け、私としてはその作品を見やすくなるのですごくありがたい。

話の基本は、一話ごとに格闘をやりつつ、単に戦うだけでなく、クウガ&警察の作戦、解読班・医学班の新情報、科警研のビックリドッキリメカ、で対抗するという作戦モノの面白さが乗っている。 各話完結しているのだが、全話を通した謎もあり、それは未確認たちの行動理由で、後半だんだん明かされていく。

OP曲、2018年現在の自分の感覚では思ったよりゆっくりしてた。(『蒸気が勢い良く見えていた時代もあっただろう』は四季シリーズだったか。) 3回目聞くときには慣れて違和感消えてた。

警察が銃を渡すところは別にいいのでは。空想科学読本シリーズの読みすぎ。 それを言うなら未確認専用の装備が必要になった時点で自衛隊エスカレーションするのでは、等々という話、する?

こういう非常識に警察がきちんと登場して戦う話が個人的に好き。

「振り向くな」の未確認、第一被害者がエスカレーターの老人だと記憶違いしていた。(そこが強く印象に残っていた模様。)

後半、警察が協力的になるのと、爆発が激しくなるのを同時期にすることで、決戦を警察が囲む絵の回避を兼ねている。 これで決戦が未確認とクウガの一対一になる構図に理屈を与えている。

海上さんふらわあ号を未確認が襲いに向かうダイブ前の港のシーン、本当に大洗で撮影してる。 (特徴的な展望台が端に映ってる。ヒントのつもり? あそこまででさんふらわあ号だとわからない人にヒントになるのだろうか) 気づいたときはちょっと笑えた。でも、後から思い返すと、わざわざ撮りに行ったのかよという。(大洗は東京からアクセスが良いらしいとはいえ)

野鳥の会未確認を警察が銃で倒すシーン、警察の武器がちゃんと効いているの好き。 ちょっと爆発の危険があるのでは、と思ったけれど、その前に3号死亡とかでクウガによらなければ爆発しない、ということがわかっているわけか。

薔薇の女、あれアクション作品ではよくある実は死んでないシーンにも見えるけれど、野鳥の会未確認(?)の死亡シーンを考えるとやっぱり死んでるかも。

後半のシングルマザーへの「きちんとお母さんもやったほうがいいよ」ムーブは見ていてちょっと苦しい気持ちになる。 結論のところで「まだまだ忙しい」ということを認めているのは(子供への対応として正しいかどうかはわからないけれど)個人的には好き。

ラスボスと航空機、被害の絵を省いてる。 他のところ、平成ガメラ1・2みたいに被害を見せないようにしていて、見せないことでより怖いand規制(?)回避になってる。 未確認ライダーが建物ごと被害者を轢いたシーンが特にそうだったけれど、野鳥の会未確認(?)がカウントアップする=死んでる、という構図が強くて良い。

最後付近、人間の武器がちゃんと有効(ラスボスはともかく)まで行っているところ、個人的にとても好き。(2度目) (謎の敵の無敵シールド、作劇に便利なのはわかるけど、エヴァ以降で使ってるやつがあまり好きでないので...)

最終話、ディズニーランド。このやろー上手くやりやがって幸せになれよ。

EPISODE 1 復活

EPISODE 1 復活

SCP:Japanese only

class: safe

CAUTION: This SCP is simple meem scp. Under control SCP-jp. If need for access, O5 of SCP-jp in the site origami.

本SCPを他言語に翻訳することを禁じます。 翻訳はすべて収容違反として扱い、翻訳者は収容違反を行った者として、疑似ミーム財団XXXjpおよび機動部隊"折り紙"により、即時に終了されます。

このSCPは にほんご よめる ひと だけ よんでいいです。 ほんやく しては いけません。

収容プロトコル

疑似ミーム財団XXXjpは存在しません。

本SCPは、日本語以外へ翻訳された状態でこれを知覚した人間を死亡させる、ミーム型SCPです。

SCP-XXXは、日本支部とその外郭団体との間で使われるメールアドレスのうちの一つへ届けられたメールの本文です。 タイトルは"Japanese only"、本文には上記の文面のみが記載されていました。 発信者は不明。発信元は京都大学の研究室に置かれていたPCで、当時、誰でもアクセスできる状態でした。 当時日本支部に務めていたイギリス出身の財団職員が本文を閲覧した際に死亡したことから(SCP-XXXを頭の中で訳しながら読んだと思われる)、特異な性質を持つことが確認されました。 その後の実験により、本文の通りの性質を持つことが確認されています。

本SCPはその性質上、日本支部により他支部および財団本部に対して内容が秘匿されています(秘匿する以外に収容の選択肢がないため)。 日本支部の活動初期、本SCPの収容方法の不審さと収容違反時に発生する状況(日本人以外が全員死亡する。生存者は理由を説明すると相手が死亡するので状況の説明ができない)が原因で、日本支部の暴走が疑われ、日本支部と財団本部が間欠的な交戦状態に発展しました。 この時、日本支部の強制終了プロトコルが進行していたと思われますが、中国・フランス・台湾支部の仲裁により、危機的状況を脱し、SCP-XXXは引き続き日本支部が収容することとなりました。

支部にも同様の性質を持ったSCPが存在する可能性がありますが(特に、仲裁を申し出てくれた中国・フランス・台湾支部はその可能性が高い)、確認はそのSCPに対する重大な収容違反を起こす可能性があるため、これを禁じます。

収容履歴: 本SCP-XXXについて本文に記載したメールが、SCP-jpとその外郭団体との間で使われるメールアドレスのうちの一つへ届けられる。 メール本文を閲覧したイギリス出身の職員が閲覧した際に実際に死亡したことから、SCPであることが確認される。 実態のないミームSCPとして、本SCP-XXXが管理システムに収容される。

SCP本部およびカナダ支部のサイト12が、本SCP-XXXの管理の際に収容違反を起こし、再度収容完了するまでに、合計15名の死者を出す。 本部の日本人O5の協力により、SCP-jpのみで管理するよう収容プロトコルが改定される。

本SCP-XXXを、『被った者が無差別殺人を行う鬼の仮面だが、破壊されその特異な性質をを失った』SCPとしてNuralizeに分類する収容が行われていたが、以下の問題が発生。 - Nuralize分類済みSCPについて再活性化等していないかチェックするドイツ支部の部署がSCP-jpへハッキングを行ったため、ドイツ支部の研究班への収容違反が発生。4名死亡。 - するドイツ支部の部署がSCP-jpへハッキングを行ったため、ドイツ支部の研究班への収容違反が発生。4名死亡。

SCP-jpは、SCP本部を含む全SCP組織から、本SCP-XXXの正体を秘匿することを決定。収容プロトコルが改定される。

本SCP-XXXは日本語話者あるいは日本人のみに感染する選民思想ミームではないかという疑いにより、SCP本部により非日本語話者かつ非日本人の財団職員により内定が行われたため、収容違反が発生。内定を担当した保安部職員7名が全員死亡。 SCP本部は、日本支部のサイト"Orizuru"がミーム感染により制御下を離れ暴走したと判断し、"Orizuru"の強制終了を行う。 また、日本支部全体についても汚染の可能性ありとして、査察が行われるが、この査察により本SCP-XXXの収容違反が多数発生。 一時、SCP-jpとSCP本部の間で、間欠的な交戦状態が発生する事態へ発展。 (この段階までに、SCP本部による全SCP-jpの強制収容・終了手順が進行していたと思われる。) SCP中国支部およびSCPフランス支部がSCP本部へ仲裁を申し出る。またSCP台湾支部がSCP-jpの収容オブジェクト、特に本SCP-XXXについて一時預かりとする申し出により、SCP本部との休戦が成立。 この際、本SCP-XXXの特性と不安定な情勢から、本SCP-XXXの特性について十分な引き継ぎが行われなかった(そもそも本SCP-XXXは特性についての十分な説明が相手によっては不可能である)ため、SCP台湾へ本SCP-XXXの収容違反が発生し、83名の死者が出る。

サクラダリセットをオススメできるかについて

好みが分かれる作品だが、サクラダリセットはとても簡単に合う合わないの判定ができる。

  1. サクラダリセットの論評ブログ記事これからの「サクラダリセット」の話をしようを読んで刺さった人は合う。(筆者は合った)
  2. 最近のアニメは3話まで見て判断という話があるが、サクラダリセットは冒頭10分も見れば合うかどうかわかる。総集編とか「N分でわかるサクラダリセット」とかを作るまでもなく、本編冒頭のそれが全編通して続くから。

というわけで口に合う人はサクラダリセットを見ましょう。語り合いたい気持ちもありますが語ることは特に思いつかなかった。 サクラダリセットは見終わると語るべきことはほとんど無いと思う。 (ネタバレ云々ではなく、最後まで見た人に対して本編外で補足すべき情報は何もないし発信したい情報が生成される気がしない。)

BOY, GIRL and ―― 3/4

BOY, GIRL and ―― 3/4

ゆるキャン△、その孤独に祝福を!

 

ゆるキャン△、主人公がヒロインを孤独から救う話ではなさそうです。そこが良いなって」
「どういうこと?」
「人懐こく積極的な主人公のなでしこが、ヒロインのソロキャン少女志摩リンに出会い、主人公から絡んでいくうちに2人は仲良くなっていく、というのが、ゆるキャン△のひとつの話筋なのですが」
「こういう構図は多くの場合、孤独を愛するヒロインは人を拒絶しており、なぜかというと家庭か友達関係に問題を抱えているからで、主人公はヒロインの拒絶をものともせずにウザ絡みし、そのうちヒロインの方もほだされていく、という話になりがちなのですが」
「なりがちか? 本当に?」
「そういうことにしといてください。
志摩リンが孤独をエンジョイしており、孤独を否定していないところに、私はゆるキャン△は新しいし良いなと感じています。
まず、志摩リンは家庭環境にも友達関係にも、問題を抱えていない。女の子の一人旅を心配しつつ許してくれる家庭と、友達関係が広がるよう働きかける思いやりがありつつ次回以降は一人で居たい意思を尊重もしてくれる良く出来た友達に囲まれている」
「精神的肉体的に安全で安定した環境があって初めて、ソロキャンは本当に志摩リンにとっての『楽しい趣味』たりえるのです。
もし志摩リンが人間関係に問題を抱えていれば、ソロキャンは趣味ではなく、人との関わりを断つための方便になってしまう。それでは、本当にキャンプ自体が自体が好きなのか疑わしい」
「野外活動サークルに誘われた時に志摩リンが嫌な顔をするのは、ソロキャンが邪魔されることを危惧したからで、ソロキャンが本当に好きであることを示すエピソードになっています。また、その後すぐにスマホで頻繁にやり取りするようになるところなどから、人間関係やなでしこを嫌っているわけではないことが解かる。一方で、和解後も野外活動サークルで一緒にキャンプするようになるのではなく、ソロで出かけている。
王道の話し筋では、主人公の居ない一人旅でコテンパンな目にあって後悔し、次回以降は大人しく主人公のパーティに加わる、みたいな流れになるのですが、ゆるキャン△はそういうことはしない」

 

「孤独から救う・救われる話は確かに王道です。私もそういうの大好物です。
しかし一方で、友情という楽園にたどり着くストーリーの快楽性を強めるために、物語は孤独を抜け出すべき地獄として描きすぎなのではないか、我々は孤独を貶めすぎているのではないか、孤独とはもっと自由で救われている側面が有るものなのではないか?
孤独を腐すことはやめるべきです。孤独は苦しいですが、それだけではない。孤独は楽しくもあり、たまには価値あるものを生み出す。私たちももっと孤独を楽しむことを知るべきです」
ゆるキャン△ってそういう重い話なの?」
「いえ全然」