死んでこい / アニメ版艦これ製作委員会と私的さいつよ陰謀論

「それでは大角川サブカルチャーコングロマリット、そしてアニメ版艦これ製作委員会より、最初で最後かつ最大の要求仕様を伝える」



「死んでこい」
「...」
「以上だ」
「...状況を整理させてください。わたしはアニメ艦これ制作現場の暫定的な最高責任者で、あなたはサブカルチャーコングロマリットの重役。わたしはアニメ艦これについて重要な打ち合わせがあると言われて、闇夜も深いこんな時間に、待ち合わせ場所として指定されたホテルのラウンジまで来た」
「そうだ」
「なぜです。アニメ艦これに特攻をしろと? 何に対して?」
「特攻なんて言葉を使うな。その言葉は、既に発行済みの艦これ関連作品の関係者向け非公開ガイドラインで使用禁止用語に指定されている。よってアニメ版艦これでも使用を禁ずる。艦これに関する打ち合わせでも使用禁止だ。例外はない」
「そもそもこの打ち合わせは何なのです? 角川の公式なものなのですか?」
「もちろん非公式なものだ。だが君はこれに従う。オタクカルチャーに属する者は例外なく、大角川の意思に反することはできない。来年度の予算がゼロになるからな。来年度があればの話だが」
「非公式ですって。では公式な仕様書にはなんと書いてあるのですか? アニメ版艦これは円盤を売るなとでも仰るのですか?」
「そんなわけがない。アニメ版艦これは角川大コングロマリットの現在の旗艦だ。討ち死になど要求できるはずがない。アニメ版艦これ製作委員会が発布する公式の仕様書には『今季アニメの覇権を取り、視聴者の心を揺さぶる大興奮の戦闘シーンと可愛らしいキャラクターをひとつに融合した、満を持して角川が放つ、最高のクオリティで革新的なエンターテインメント作品』と記載される」
「わたしは今日、その仕様を満たす素晴らしいアニメ作品を作るためにやって来ました。
艦これのヒロインは第二次大戦の艦船擬人化キャラクタたちです。彼女たちの設定と性格は、バックグラウンドとしての第二次大戦前後に実在した軍用船のエピソードと不可分です。アニメの尺は長くて短い。艦これをアニメで描くならば、第二次大戦中の実在の空母・戦艦等のエピソードを描かなければ成立しない。
あの仕様書に記載されている規制を順守しようとしたら、美少女動物園以上のことなんてできません。仮にやったとしても酷いことになる。大角川はアニメ艦これに討ち死にを要求しているとしか思えない。
わたしは今日、アニメ版艦これの暫定版仕様書に記載された各種制限の緩和と、アニメ版艦これへの大角川からの会社的支援をお願いするつもりでいました」
「そうか。なら時間を無駄にしなくて済んだ」
「太平洋戦争は難しい題材です。登場艦船の乗員を含めて関係者がまだ生きている。空襲の経験者も生きている。あらゆる利害関係者がいて、現在の日本と利害関係が切れていない。
だからアニメで太平洋戦争を描くことは難しい。まず描かせてもらえない。そこから高いハードルが待っている。
しかし、アニメ版艦これはアニメで美少女太平洋戦争が描ける大義名分、錦の御旗です。多くのファンから期待されている人気作品であり、人気作品であることから予想される大きな収益をバックに、大きな制作費と、大角川の直接バックアップ、つまり、PBO・PTA的なものの批判というプレッシャを跳ね除けるお墨付きという、事実上の規制緩和が得られる期待が高い。ある程度まで自由な内容で作る機会が与えられる。私を含め、制作スタッフは大好きな艦これが描けることと同じくらい、その表現の自由に奮い立っている。なのになぜ」
「こう考えたことはなかったのか? 大角川が本気になれば、京都アニメーションでもProduction I.Gでも、考えうる限り最高のどのアニメーション会社にも予定を開けさせることができる。島田フミカネと愉快な仲間たちをウィッチから曳き剥がして単なる妖精コンテ担当チームに割りあて、アルペジオのスタッフを制作会社ごと全員接収してきて現在鋭意制作中の劇場版は中断し、艦これの艦船の単なる3D担当チームとして割り当てることもできる。絵コンテはシャフトに、ツイッタ広報はヤマカンにやらせる。なぜ君たちが選ばれた? 一瞬も疑ったことはなかったのか。A-1ではなく、GONZOでもなく、いつもライトノベル原作の生産ラインを埋めるために宛てがわれている、急に決まったアニメ化で手配可能なスタッフとして集められた傭兵部隊の君たちに、その特権が与えられるなどと何故考えた?」
「それは、艦これの人気が3年後まで続くかどうか、人気の流動的な現在のオタク業界では確証が持てないからで...」
「まず、角川はアニメ版艦これに特別な大予算を投入しない。なぜならハイクオリティなアニメにする気はないからだ。
次に、角川はアニメ版艦これに社会的な支援をしない。なぜなら太平洋戦争に言及するような思想性の高いアニメを作る気はないからだ」
「そんなご無体な。ワンクールアニメはアンソロジーコミックスではないんですよ? なぜなのです。低予算で上手くやれというのならまだわかる。いっそ平成ガメラの初期案よろしく全編ギャグにするという手もある。お上の政治的駆け引きで企画規模に見合う予算が出ないのはいつものことです。結果的に売れないアニメなんて毎クール数えきれないほど誕生している。でも、最初から面白くないようにアニメを作れだなんて。滅茶苦茶だ。そんなものを作るのは無意味だ。」

「そんなことはわかっている。ガイドラインはそのために存在している」
「どういうことなんです」
「艦これアニメは、面白くあってはならないのだ。なぜなら、アニメが成功したとき、艦これは死ぬ。
艦これというプロジェクトの最初の設計書、そのオリジナルにはこう記載されている。
『本プロジェクトにおける意思決定は、東○プロジェクトの採った成功戦術を、製作委員会のコントロール下ですべて忠実に模倣し再現するものである』」
「それは、まさか」
「『プロジェクト艦これの責任者が、責任者だけが肝に銘じなければならないのは、本作品は東○ブロジェクトが人気ジャンルとなった理由を完全に模倣し、フォローするということだ』『つまり二次創作に豊穣な土壌を持つことは現代においてコンテンツが盛り上がるための唯一最大の必須条件である。よって艦これは二次創作設定を生み育てる次の余地を持たねばならない。盲撃ちに美少女を用意し、現実世界で複数の設定を持つ題材を美少女化(これは設定作成の省力化を兼ねる)、そして解釈の余地が広いガバガバな設定』『ここで東○プロジェクトを超えるために何より大事なのは、個人制作でなく製作委員会によるリソース分散により、ガ○ダムのように多言宇宙的矛盾を孕むこと。それを活かすために公式解釈というメインラインを提供しないこと。解釈を一本化することは艦これの未来を閉ざす。(中略)東○プロジェクトが避けているアニメ化は絶対にこれを避けなければならない』」

「私はアメリカでMBAを獲ったが、成績が良くなかったので経済が湿気り切った東方の端の島国に戻るしかなかった。今ではハリウッドムービーとは比べ物にもならない小さな経済規模しかない弱小コンテンツ市場の独占企業で重役に収まっている」
「唐突なあなたのキャラ設定は正直誰も興味がないと思うのですが...」
「だから私にとってアニメは単なる商品でありこだわりも関心もない。興味があるのはキャッシュのことだ。艦これはキャッシュを生み出す。そして私はマンガやアニメのことを知らない。マンガやアニメのことを知っているのは、この設計書を書き設計書のコンセプトの正しさをキャッシュを稼ぐことによって証明した艦これの基本戦術を策定したクリエイタだ。そして彼はアニメを成功させてはならないと書いている。わたしは艦これというコンテンツのキャッシュフローを殺すつもりはない。私は利益のことしかわからないが、利益のことしかわかっていないことはわかっている。だから、彼がアニメは失敗させろと言うなら、私はアニメのことを知らないMBAの教授が授業で教えた成功戦術よりも、彼の言葉を信じる」
「それは...私は正直、お金のことは、アニメを作るのに必要という以上に興味はありません。でも、アニメを作るからには、いえそれ以前から、艦これが好きです。私も、MBAが言うことより、艦これを作った創作者の言葉を信じたい。艦これに可能性ある未来を残したい」
「だから、死んでこい」
「すべては制作委員会のシナリオ通り、というわけですか」
「そうだ」
「...ここ、笑うところですよ」



「というやりとりが、あったのではないか、あったらいいな、でもなかっただろうな、悲しいね、というのが、僕の思いついた限りでさいつよのアニメ版艦これ陰謀論です。オッカムの剃刀的なものが一本あれば切って捨てられる妄想です」
「うーん」
「冒頭の『死んでこい』がやりたかっただけとも言う」

参考:誰もが気づいた3つの縛りと誰も気づかない2つのトリック ( http://d.hatena.ne.jp/ityou/20150327 )

艦隊これくしょん -艦これ- 艦娘型録 弐

艦隊これくしょん -艦これ- 艦娘型録 弐

厚いテクスチャの向こうで / ピングドラム感想

ピングドラム、見たのと同時期に「テクスチャ」の概念を拾いまして、考察班ごっこするのによかったので、その線で物語を読んでます。」

ピングドラムwikiによると、地下鉄サリン事件を連想させる場面がある」
「そうですね。ただ、地下鉄サリン事件への参照は、劇中では単なる賑やかしと言うか、本質ではないように思います。
(言及したら負けなゲーム、というほどではないですが。)
ピングドラムでは、テロリストの兄ちゃんが死者として登場し、アクティブに物語上で活動しています。
だからあの作品世界では、死者が出たとしてもそれが本当に死んだのか比喩なのかわかりません。
「本当に死者が出た。本当に主人公たちの両親は非道なことをした」という話をしようとするとき、その切実さをあの作品世界では表現するために、現実の事件を参照するという手が有効だった(というか他に手がなかった)のではないかと。」
「ふうん。どうかな」

「個人的には、南極探検隊が何だったのか、良い「見立て」が見つからなくて、引っかかっています。誰か良い仮説があったら教えて欲しいのですが」

『輪るピングドラム』公式完全ガイドブック 生存戦略のすべて (一般書籍)

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やがて君になる 4話感想 - ゴジラは私たちの中にいるんだ -

「というわけで4話を見た感想は『これは大変やばい、とてもまずい』でした。これは皆さん危機感を持たないとまずいですよ」
「確かに彼、すごい人物だったけれど、危機感って?」
「私が問題にしているのは、その他人事のような視点です。ツイッタ上でのみなさんの感想も軒並み『彼はすごい性格してるね』『思いもよらなかった』『ちょっと彼はどうかしている』と言って、主語は彼を指しているのですが。
私のお気に入りの怪しいコンサルタントが著して曰く、『あなたが誰かを指差しているとき、他の三本の指が向いている人物に注意』と。

ライト、ついてますか―問題発見の人間学

ライト、ついてますか―問題発見の人間学

つまり私がまずいと言っているのは、あなたのこと、わたしのことです。
あなたが『やばい』って書きこんだタイムラインを冷静になってよく見てください。 『壁になりたい』『天井になってシミを数えられたい』『椅子は恐れ多い。窓ガラスでいい』『添い遂げて』『反射光になりたい』というつぶやきで溢れかえっているのでは。 というか、それもあなたが書いた言葉だったりしませんか?」
「反射光って? でもまあ、無害だし」
「無害だから異常ではないわけではありません。それは彼を見ていればわかるでしょう。もちろん、趣味において異常であっていけない理由はありませんが。しかし自覚は無くとも認識はしておいたほうがいい。
我々はいつのまにか椅子や天井になることに何も違和感を感じなくなってしまっています。江戸川乱歩作品の登場人物のような立ち位置を所与のものとして受け入れてしまっているのです。
彼はあなたの中に居る。彼は私であり、あなただ。
これはすごいことです。百合作品から百合読者に対するある種の告発ですよ。
ちなみに、2000年台にホラージャンル小説の賞で、『犯人は実は主人公その人だった!』があまりに多すぎるために同じオチを一律で不採用にする、という条件を設けたことがあったそうですが。
裏世界ピクニック もびっくりの認識ホラー展開でしょう、これ。SCP も思わず収容を見合わせるレベルです。
まさか2018年の百合アニメでその復活を見られるとは思いませんでした。」
「そこまで言うほどのことかなぁ」 「彼の態度に比べてば、まだ異世界転生のほうが主役になろうという貪欲さがあるだけ良いとも言えます。貪欲が良いとも限りませんが、エゴは必ずしも悪と断じてしまえるわけではない。人間らしいですよ」
「まあ机や反射光よりは転生者のほうが人間らしいかもしれないけれど」
「我々も人間性を思い出しましょう。取り戻す、まですべきかどうかはわかりませんし、取り戻さないままのほうが百合鑑賞には良い気もしますが」
「百合作品の読者でいるのも大変だね」

以下蛇足。
ブログの煽り気味なタイトルは「ゴジラ2000ミレニアム」より。本編中では「俺たちの」と言っていた気がするが政治的に配慮した。
なお同じ役者がゴジラ作品に次に登場した際に喋ったセリフは『角度の問題じゃない』

ゴジラ2000 (てんとう虫コミックススペシャル)

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TRPGマスター、あるいはウチの子かわいい創作者の希望の物語 -WIXOSS 1期-

  • ウィクロスTRPGリプレイのアニメでしたよ
  • アニメ版ウィクロスとは?
  • カードゲームに願望を叶える力がある
  • 願望のない主人公が特別なカード(ヒロイン)と出会う
  • 女の子が酷い目にあう系譜
  • 全体として、カードゲームのプレイヤが次々と酷い目にあう
  • Q それで販促になるのか? A 劇場版はともかく、アニメ2期を同じ路線で作っているので、たぶん。
  • 個人的には、おもちゃを褒めるシーンの入る販促アニメよりは、見ていて恥ずかしさが無いため見やすい。

  • ゲームマスターことはじめ
  • あのゲームマスターは私たちのような引きこもり性質のスノッブである
  • 自分が外に出るのを諦めたか、そもそも最初から受肉・現界を望んでいない
  • オタクがこうじて、オリジナルキャラクタ(うちの子)を作り始めた
  • うちの子かわいい
  • 素直で優しい、人懐っこい子、という設定しか無かったのでは。
  • キャラデザまあまあがんばった 白い初音ミク
  • が、オリキャラ1体をキャラデザするまでで挫折した。
  • TRPG"ウィクロス"の誕生
  • うちの子が活躍する世界観と物語が欲しい -> そうだTRPGにしよう
  • 現実世界を使ったTRPGである
  • サブキャラクター作るの面倒 -> プレイヤーキャラクタが勝手に作ってくれる
  • 物語が思いつかない -> プレイヤーキャラクタが勝手に作ってくれる
  • バトルロワイヤル二次創作だ!
  • バトル物は楽
  • 次々敵キャラを出して、次々倒せば、とりあえずお話になる
  • 人が死なないバトルが欲しかったのではないか
  • 目的のためにカードゲームを作ったのではなく、最初にカードがあって、後から目的に利用したのでは
  • 最後にうちの子がすべてを救済する
  • うちの子が救済するための悲劇発生システム > それ以外に、負けた娘が「願いの逆流」とやらで酷い目にあう理由が説明できない
  • うちの子が勝利して願望成就が発動することにより、すべて救われるという、これ以上なくシンプルな物語構成
  • リプレイ本。オリキャラとプレイヤーキャラクタ、ゲームコントロール
  • 拾ってきたプレイヤーキャラクタと、NPCうちの子
  • デスノート初期プロットを目指した? シナリオが狂った
  • うちの子にふさわしい強い相棒を選んだら、強いのではなく最強だった
  • うちの子にふさわしい優しい女の子を選んだら、相性良すぎてイチャイチャしはじめた
  • プレイヤーキャラクタとうちの子がイチャイチャしはじめる
  • ゲームマスタによる、介入の様子がリプレイ本に痛々しいまでに克明に記されている
  • うちの子の"自由意志"に干渉するのではなく、あくまで説得しているあたり、うちの子愛してる、ゲームマスタとしての公平性に配慮している感はある?
  • 「るう子が裏切ろうとしてる」悪いのはうちの子ではないです、プレイヤーキャラクタが悪いんですよ、という説得を、参加者みんな、リプレイ読者にしている場面でもある
  • 変態を駆使して初期プロットへ回帰すること自体には成功したが、その頃にはもう『別れ』という悲劇を救済するしかなくなっていた
  • 総括:スノッブの希望の物語
  • 初ゲームマスタの奮闘リプレイとして見ると、微笑ましい
  • 予定外にキャラクタが動いて、思っていた構成にならなかったし、不格好ではあるが。
  • 思っていた着地点に近いところでハッピーエンドに落ち着くことができた。
  • スノッブが最初に作った話としては、持てる力の限りを知り、それでもなお工夫し、エンディングまで持って行った、という、希望の物語である

selector stirred WIXOSS (HJコミックス)

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メルヘン・メドヘン感想 2017年だぞ

メルヘン・メドヘンの冒頭を見ました。これは意欲的すぎますね」
「えー?」
「だって、2017年に『普通の魔法少女モノ』をやろうと言うのです。これは企画倒れしなかっただけでも褒めていい」
「普通の魔法少女モノとは?」
「つまり、『まどか☆マギカ』ではなく、それ以前の魔法少女モノです。20xx年にまどか☆マギカ魔法少女モノというジャンルを終了、というかまったく異なるものに改変してしまいました。あのパラダイムシフト以降、2017年に、それ以前の時代の普通の魔法少女モノをやろうというのが無理筋なのです。3話までで人が死なないとかあまりに現代的設計とかけ離れている。違和感すら感じる。」
「それは言い過ぎでは。それと、面白いの?」
「企画倒れしなかっただけでもすごい」
「......」

その他。
- このへんのジャンル内での立ち位置の話を、本編内で主人公がしているものだから、こちらもそういう気になってアニメの立ち位置をつい考えてしまう。
- 一話冒頭では主人公は本読みヒロインかと思われたのだが、2話以降はまったく気配がない。やはり読子・リードマンの壁は厚いから避けたのだろうか。
- 主人公は本に「逃げている」ようだが、2018年に「ゆるキャン△」が「趣味は逃避先ではなく趣味なのだ」という最新理論をアニメに持ち込んだ。そのためこれがすでに古くなってしまっている。とはいえ1~2年前のアニメに2018年の最新理論を求めるのは単に酷。
- 「お嬢様とハンバーガ」はやはりテンプレなのか。ここはちょっとテンプレから外すようにしていて良かった。
(お嬢様にとってハンバーガーは味が美味しいからではなく、思い出の食べ物だから美味しい。まあ一ノ瀬由美子クリスティーナは覚えていないようなのだけれど。)

せっかくだから俺はこの赤い錠剤を飲むぜ -仮面ライダーアマゾンズは実質ガルパン-

「そういえば先輩は仮面ライダーファンでしたよね。この前、わたしも見ましたよ、仮面ライダーアマゾンズ
「アマゾンズはダーティ&シリアス路線で嬉しいね。君の口にも合うかもしれないと思ったんだけれど、どうだった? 君はこの前、近年のニチアサ仮面ライダーは口に合わないって言っていたけれど。」
「全体にシリアスな脚本が良かったです。ダークヒーロー感が良い」
「うん。戦うと血とか出て、リアルさもある」
「あ、そこなんですが、ちょっとそれは違うと思うんですよね。これは、アマゾンズという作品の良し悪しとはまったく無関係であることを最初に強調しておかなければならないのですが、アマゾンズはリアリティをコンセプト・魅力として推してはいない。アマゾンズという作品は実はリアリティはなくて、むしろコアコンセプトはガールズアンドパンツァーに近い。つまり、仮面ライダーアマゾンズは、実質ガルパンなんです」
「なんか暴論が始まった気配がするよ」
「まあ暴論なんですが、思いついた瞬間は、少しおもしろかった話なので与太話として聞いてください」
「OKOK」

「わたしが思うに、仮面ライダーアマゾンズのコアコンセプトは単純です。『仮面ライダーでダークヒーローをやりたい』」
仮面ライダーってダークヒーローじゃなかったっけ?」
「ノーコメントです。ニチアサの話は...。仮面ライダーアマゾンズの構成要素はすべて、『ダークヒーロー』というコアコンセプトに奉仕するもので、コアコンセプト実現のためにのみ存在してるいわば「為にある設定」に過ぎません。主人公が持つ追われる属性、正義でなく我欲で動く登場人物、流血を伴う凄惨な絵作り、優しさのない世界観、残酷で救われないことの多い物語。
作中で特に御都合な存在が『人食いになるアマゾン細胞』という設定です。これは一見何かを説明しているようでいて、実は何も説明していません。なぜ人を食いたくなるのか、なぜ人間態を持ち変身するのか、アマゾン細胞という1つの要素が人喰いと変身の2つの要素を繋げるのに全く役立っていません。一つのガジェットが2つの無関係な設定を持つことは設定設計として美しくない」
「それは後のエピソードで説明されるのでは?」
「まあ、そうなのかもしれません。しかし私は放って置かれると思っています。わたしの考えでは、アマゾンズシリーズは、最初からそこを説明する気がない。それに、アマゾンズの視聴者もアマゾン細胞という設定の説明には興味がないのではありませんか?
アマゾン細胞が生み出した、アマゾンズの物語の状況下に置かれた主人公たちが何を考えどう判断し、どんな行動をするのか、どんな戦いを見せてくれるかが面白くて、私を含めてた視聴者はそちらを楽しんでいるし期待している」
「ふうん」
「最低限の言い訳だけは用意するけれど、それもあからさまな言い訳であることが誰の目にも明らかにわかる作品というのは割と有ります。大抵の場合は、作者の技量不足故にアリバイ工作に失敗しただけですが。フィクション作品において、製作者の意図が垣間見えてしまう瞬間というのは興ざめです。作品にかかっていた魔法が解けてしまうからない方がいい。
ところが、一部の作品においては、製作者と視聴者がまるで事前に申し合わせたかのように、そこに目を瞑るという申しわせを、物語の裏側ですでに終えている場合がある。何かしらの不正の気配がする。ロボットモノやゾンビモノと呼ばれる、いわゆるジャンルモノというのがそれです。年端も行かない少年がロボットに乗って戦う不自然や、意志なき死者が蘇り生者を襲い始めるという不自然を、私たちは無意識のうちに受け入れているわけです。
自らの好みを自覚し、突き詰めて開眼するまでに至ったクリエイターが、やりたいことをリアリティや全体の整合性、市場への適用性、いわゆる穏当さを意識して捨てて、というか諦めた時に現れるもの。多くのものがそれを求めていながら、あるいはその魅力を知らないままでいたために、言い訳をそれと知りつつ受け入れてまで欲っする物語。
さて、私たちは最近、そういう作品をひとつ知っています。コアコンセプトはこうです。『かわいい女の子で戦車戦がやりたい』」
「そこでガルパンなんだ」
ガルパンです。最近アニメ は3話まで見ろなんて話もありますが、ガルパンのコンセプトを説明するのに劇場スクリーン大写しで3分ちょっと解説する必要はない。ガルパンに登場するすべてはコアコンセプトのために存在している。 現実を知っている我々には違和感バリバリの世界観と設定が次々登場しますが、視聴者はそれを無視するようになる。なぜなら視聴者が関心を持っているのは、女の子たちがどう戦車に乗って、どんな戦いを見せてくれるのかであり、作品の現実にあるらしさ、リアリティではないからです。
『戦車と女の子、好きなもの同士を組み合わせたら最高に決まってるだろ。リアリティなんて必要ない』『俺はダークヒーローをやりたい。人を食う悪人とかをカッコよく描きたいだけなんだ。設定の美しさなんて知ったことか』
そこに違和感を感じるかどうかは、視聴判定において重要ではありません。
実はわたしは最初、ガルパンの設定に耐えきれなくて4話で視聴を止めたのですが。ガルパンにおいてあのストーリー設定にノれるノれないという批判は設問を根本から間違っている。実際は、ノルかノラないか、なのです。」
「ノるなら早くしろ、でなければ帰れ、か」
「YESYES。ちなみにガルパンは4周耐えたら慣れて何も感じなくなりました。極上爆音上映を食らうと大概のことは許せる身体になります」
「それはイカ怪人にされるより嫌な改造をされたな」
「アマゾンズにおける『アマゾン細胞』と、ガルパンにおける『特殊なカーボン(というか戦車道)』は、メタな視点で見れば、本質的には同じものです。
アマゾンズとガルパンが正反対のものに感じる理由、つまり両者の差異は、残酷描写の有無という見た目の問題もあるのでしょうが、本質はそこではなく、コンセプトの食いあわせの問題です。『女の子x戦車戦』という新機軸は根本的に相性が悪く、キワモノであり、繋ぎ目を隠すことは到底無理です。一方でアマゾンズは『仮面ライダーxダークヒーロー』という方針であり、まあこれがわりと噛み合う組み合わせです。
アマゾンズがリアリティ要素を持っていることは否定しませんし、そこに魅力を感じるのもアリだと思いますが。アマゾンズはやりたいことが『ダーティ』路線だったので、結果的にシリアスになり、シリアスが結果的にリアリティのようなものを醸し出しただけなんじゃないかと思っています。リアリティは、コアコンセプトのために捨てても立ててもよかった。どちらにせよ、重視していないのは同じです」

押井ファンが歯ぎしりしながら羨むメタ展開/幻の『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』

「オルフェンズ見た?」 「一期、かなりよかったですね。二期はまだ途中まで。話数的にもちょうど折り返し地点ってところなのかな。ちょっと時間が取れなくて、録画を消化するのは来年になるかもしれないのですが、リアルタイムで放送を追ったほうが面白い感じですか?」 「あー。それなんだけれど、ちょっとね。確か一期が終わったとき、君はオルフェンズ二期について、けっこう真剣に展開予測を語っていた覚えがあるのだけれど」 「Yes。真剣かどうかはともかく。大筋としては、 ・前線の将でいられなくなるオルガが今(一期終了時点)の求心力を保てるか ・個々の事情を持ちかつ騙されやすそうな少年兵達から、裏切り者の登場をどう予防するか ・実際に裏切り者が出てしまったとき、これをどうするか という問題が発生するので、これを脚本がどう回避するか、あるいは、重いテーマに真正面から挑むか、という2ラインだろうと予測したはず。描くのが楽なのは圧倒的に回避コースだけれど、個人的には後者のラインが見てみたいし、一期を見る限りでは、オルフェンズは後者のラインを選び、それを描く力が制作陣にはあると思ってます」 「うーん。僕はガンダムファンだから、というのもあって、リアルタイムで視聴しているのだけれど。君のその予測は覚えていたから、君は二期を見ないほうがいいかもしれない、と今はちょっと思い始めてる」 「あ、やっぱり?」 「やっぱりって何?」 「ツイッタを見てると、どうしてもネタバレが混じって来るから」 「なら言うけれど、君の期待はだいたい外れた」 「どうやらそのようで。私が見た限りの範囲でも、2期は大筋では裏切り者エピソードをやりながら、その筋を微妙にずらして一番やりずらいラインを回避していたから、ちょっと嫌な予感はしていたのですが」 「制作陣も、ツイッタで余計なことを言い始めたりしてね」 「その話も漏れ聞いてます。大筋では、2期が終盤、視聴者たちの目の前でガタガタと崩れていき、同時に物語が終息したことで制作陣がネタバレの心配が無くなって作品意図を説明しはじめたところで、とんでもない認識の齟齬があったことが判明した、という話なのかな」 「最初からバットエンドにするつもりがあり、主人公たちは作中でバットエンドを迎えるにふさわしい悪役として描いていた、と」 「虐げられている現状に抗って戦い、立身していく弱者としてではなく、ね」 「どうしてこうなった!」 「それはもう、不幸な認識の齟齬としか言いようがないかなと。制作陣の拙さが起こした悲劇かもしれないけれど、制作陣も視聴者も悪くないのでは。 どっぷり嵌っていたファンやガンダム好きの方々には悪いけれど、ごめんなさい、外野からウォッチしていると、作品周辺の騒動、滅茶苦茶面白いです。『俺達の見ていた鉄血のオルフェンズとは、いったい何だったんだ』って。 これは、単なる笑い話でもなくて、アニメ業界はここから何かしら学ぶべき失敗例ではあると思いますが。 ネタとしては、ツイッタに氾濫する『もし押井監督が〇〇を作ったら』を思い起こさせる深い味わいがありますね」 「なにそれ」 「『俺達の好きだった鉄血のオルフェンズは、実は存在しない。最初から有りはしなかったんだ』ってやつです。まさかこんなネタを分割4クールのアニメ作品で、しかも作品そのものを主題にやる作品が登場するとは。ガンダムファンは、押井ファンが歯ぎしりしながら羨む稀有な経験をしましたね」 「俺、前に君に押井監督の『Avalon』見させられたとき、途中で寝たんだけれど」 「私はあの時最後まで見ましたよ。退屈だけれど面白い映画だった。私ばかり面白くて、本当に申し訳ない」

アヴァロン ― オリジナル・サウンドトラック

アヴァロン ― オリジナル・サウンドトラック